Happinesss通信 第81号【愛情があれば…?】


悲しいことに、ここ数年の間に虐待のニュースがどれだけ増えたでしょうか

そのたびに虐待した親の言い訳は

「しつけのためだった」

と、まるで決まり文句のようです。

本当に「しつけ」の為に

子どもを叩く必要があるのでしょうか?

私が子どもの頃は

親はもちろん、学校の先生も

しつけのためなら手をあげるのは当然

という考え方が一般的でした。

実際、私もそういう中で育ちましたが、

私自身はしつけや教育に体罰は必要ないと

考えています。

なぜなら、どんなに素晴らしいことを

教えようとしていたとしても

体罰をした時点で「しつけ」ではなく

親の感情の問題だと思うからです。

以前、前夫が幼かった上の子どもたちを叩くので

「なぜ、子どもたちを叩くの?」と問いただしたら

「子どもなんて、ぶたなきゃわからない!」

でした。

子どもが、叩かれることで理解するのは

「この人の言いなりにならないと痛い思いをする。この人は怖い」

と、いうことです。

愛情があれば叩いても良いという意見もあります。

そういう意見を否定するつもりはありません。

叩かれても愛情を感じられる方もいるのでしょう。

私は自分の子どもの頃の経験から、

叩かれると自分の意志がフリーズし、

相手の意向にそうことばかり考えて

行動してしまうようになるのです。

これは精神的な抑圧によっても起こります。

親の思い通りに行動させるのが

『しつけ』ではないはずです。

最近はひらがなで『しつけ』と

表記することが多いですが

漢字で書くと『躾』です。

「美しい身体」とは

「人として美しい在り方」を

表しているのではないでしょうか?

私自身は今も「人として美しい在り方」を探し

学んでいるところです。

何を「美しい」と感じるのか?

子どものその感覚を育んでいけたらと

思っています。